CB400F・個人的探求の記録

憧れだったCB400Fに乗って15年が過ぎた…が、いつまでたってもエキスパートからはほど遠い、筆者のつれづれを綴る。とにかくノーマルのヨンフォアが好き。外観に影響を及ぼさないアップデートが好き。

ヨシムラから届いた荷物 〜『ポップ吉村物語』

少し前、仕事が終わって帰宅したら、家に小さな荷物が届いていた。

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箱には「ヨシムラ YOSHIMURA」のプリントが!!

おお〜 このロゴを見るだけで、なんかアガるね。「しょっちゅうヨシムラから買い物してるから、まったく何も感じないわ!」って人もいるんだろうけど、自分は直接買うのは初めてなもんで……

中身はパーツじゃありません(笑) これです、「ポップ吉村物語」。

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ポップ吉村=吉村秀雄氏の伝記は各種あれど、この本は一般流通せずヨシムラのみが扱っている、いわば公式の本。バイクパーツと一緒にヨシムラのネットショップで売られている

内容は、九州の新聞で連載された記事をまとめたもので、去年出版された。自分はポップ吉村マニアではないので(笑)、どの記述が新しいとか初出である…なんてことはわからないけど、関係諸氏の言葉や各種資料を元に解りやすく、詳細に書かれていて、読み応えがあった。

地元誌らしく、生家があったのは博多のどういう地区で、当時はどういう状況だったのかとか、戦争中に何をしていたか、戦後どういう経緯でオートバイのチューニングを始めたかが、特に詳しく書かれていた。

ポップが生まれ育った福岡の雑餉隈という地区は、孫正義がソフトバンクの前身「ユニソン・ワールド」を立ち上げた地区である、すぐ近くに武田鉄矢の実家がある、好きだったラーメン屋はどこにあった…なんて、細かい話も面白い。

個人的には戦時中パートにグッときた
飛行機乗りに憧れて予科練に入ったものの、練習機の不調で飛行中に落下傘で脱出、その時にケガをしたのが原因で志半ばで除隊され、失意の日を送るが、民間の航空会社に入社。やがて太平洋戦争が勃発して、機関士としてダグラスDC3に乗ることになり、海軍徴用隊として台湾〜シンガポールに赴任。

昭和19年には同じ会社の事務員だった女性に惚れて、相手には親が決めた婚約者がいるのに、そんなことは無視して口説き、揉めつつも何とか結婚に漕ぎ着ける。妻は台湾に住ませ、シンガポールから2週に一度の通い新婚生活。

その後戦況は悪化の一途を辿り、有名な「眠りながらエンジン音を聞いて、少しでも異音がしたら飛び起きた」というエピソードが出てくる。「異音・異常を察知できない=乗員全員の死」だからできたのか? いや、そんな神業が出来たポップ吉村だから生き残れたのか。

低オクタンの燃料のせいで最高時速が230km/h(!)にまで落ち込んだ輸送機で、高性能な米軍機がうじゃうじゃいる戦場を飛ばされるなんて、生きた心地がしなかったろう。飛行時間は4000時間を越えていたという。昭和20年に入ると何度も特攻機の先導を務め(軍人じゃないのに!)、耐えがたいストレスで生活は荒れ……なんて、未整備のジェットコースターに乗り続けていたような戦争体験は、本当に凄い。

ポップを航空エンジンの整備士へと導いた(つまり、後のエンジンチューンの専門家になる最初のきっかけを作った)という、黒岩利雄パイロットの詳しいエピソードは、おそらくこの本が初出と思われる。

もちろん、CB72のチューンを始める話や、CB750fourに集合管を取り付けた話、その後のアメリカでの大失敗、ホンダと決別してZ1をチョイス〜スズキとの運命的な出会いなど、バイク関連のストーリーも詳しく書かれていている。

アメリカに渡って騙されて食い物にされ、裁判沙汰が収まったと思ったら工場が火事になって大やけど。金がないだけじゃなくて身体までボロボロになり、それでもめげずに安い飛行機で帰国、勘当した娘夫婦がやってるモリワキの工場に間借りして、無敵艦隊・ホンダRCBに挑む!

 1978年(昭和53)年7月、打倒ホンダの決意を胸に、吉村秀雄がアメリカから帰国して鈴鹿に乗り込んだのは、第1回鈴鹿8耐の10日ほど前のことだった。持てる資金のほとんどをパーツ代に回したため、最も料金の安いタイのエア・サイアム社の航空便に乗っての帰国であった。

こんなヨシムラ陣営に比べ、当時のホンダ企画書にはレース担当部門の陣容と予算がこう記されている。「予算は年間30億円。人員は1100人位」

 30億円といえば、ホンダの2輪総売上高の約1パーセントにあたる。これに対し、スズキから市販予定車のGS1000の提供を受けているとはいうものの、ヨシムラは家族まで入れて8人。2台出場させるモリワキの10人を合わせても20人足らずの吉村軍団は、まるで巨像に立ち向かう子犬のようなものであった。(裏表紙より引用)


……これで本当にホンダに勝つんだから凄すぎる。なんて痛快なんだ!!などと思ってたけど(実際に凄いんだけど)、壮絶な戦争体験から一気に語られると、ポップ吉村の戦争は引退するまでずっと終わってなかった、まさに命がけで不可能を可能にしたんだな……ってのが伝わってきて、妙に納得できました。

ヨンフォアの話は全く出てこないが(笑)、面白くてサクサクと読んでしまった。
秋の夜長にオススメの一冊です。